ブログが2ヵ月目からになっているので、「右脳回帰」という言葉を知ってから2ヵ月目までの1ヵ月間のことをランダムに書いていこうと思います。
私が、ワンネスをほんの少し体感したのは、中野真作さんのブログで「内なる沈黙」という言葉を知ったのがきっかけでした。
以下、その部分の引用です。
言葉で表現されると、それぞれの表現が違うので、まるで別のことを言っているかのように思えますが、これらはすべて同じ一つの真実を示しているのです。
そして、本当は誰もがこのことを知っています。それがわからないように感じるのは、心の中が思考でいっぱいになっていて、思考の奥にある沈黙が意識できなくなっているからです。言葉を外して世界をありのまま見たとき、上記の様々な言葉が意味しているたった一つの真実が自然とわかるのです。
とはいっても、思考が悪いわけではありません。瞑想などをやっていると思考やそれを考えている自我(まわりの世界から独立した自分がいるという感覚)がまるで悪者かのように扱われているときがありますが、そんなことはまったくないのです。思考や自我がなくてはこの世界を生きていけません。ただ、それだけを自分だと思い込むことがなくなるだけなのです。
思考をなくすことが目的ではなく、思考がうるさいときですら心の奥にいつもある沈黙、内なる沈黙を意識するだけでいいのです。その感覚がわかるようになると、思考との同一化(思考を自分だと思いこむこと)がはずれてきて、内なる智慧が自然と働き始めます。もっとも深い真実へ気づきが自然と深まり始めます。人生に新たな質が流れ込んでくるのです。
身体の中に「沈黙」を捜してみると、胸の部分に「沈黙」が在るのを感じました。
その「沈黙」に深く深く潜り込んでみると、宇宙につながっている!と感じたのです。
これか、全部繋がっているというのは!と感動しました。
そして直観的にその沈黙が「わたし」だと感じました。そしてそこに留まっているとなんとも言えない安心感と安堵感を感じます。
それ以降、最初は頭の中を軽く見張りながら自動思考が出てきたら、頭の中を「沈黙」させるように心がけました。
私が自動思考を止めるためにやったのは、学校の教室で授業を受けているイメージを思い描く方法です。
頭の中を見張りながら、自動思考が出てきたら、「授業中だから沈黙」みたいなイメージをしたのです。
頭の中が教室で、授業を受けているのが左脳の意識、その左脳に向かってそうイメージを送った感じです。
これ以前に、なんの目的でやっていたかは忘れましたが「思考の観察」みたいなことをやったことがあったので、自動思考を捕まえるのは慣れていたように思います。
なので、この方法を繰り返していくと、案外すぐに自動思考は止まりました。
ですが、以前はこの方法をやって結局続きませんでした。その理由はまた書きます。
それはともかく、とにかくこの方法を続けていたら、胸の奥に「沈黙」を自然と感じられるようになってきました。
ところが、数週間して自動思考がだいぶおさまってくると、次のこと(エレベーター呼吸)に夢中になって忘れてしまったのですね、この沈黙の存在を。
下記の動画をたまたま見つけて、中野さんの「思考の奥にある沈黙、内側のスペース」という言葉を聞いて、うわーと思いました。
内側のスペースを見つめただけで、安らぎが訪れました。
――ああ、ここが戻る場所だ。
――ここにいたら思考も止まる。
――ここが胸の座(わたしの意識)だと感じる。
――安らぐ。
――今ここにいられる。
すぐその感覚になれました。
私にとって、この胸の部分の沈黙がとっても大事だったということを再確認しました。
2ヵ月目に入ったばかりの今、このことを思い出せてよかったです。