気がついてしまった…
当たり前といえば当たり前のことなのかもしれないけれど。
今日道を歩いていて風を体に感じて、その後声にならない声が気持ちいいと言った。
でも、この声が聞こえた時点では、感じた風の感覚は過去のものなんだ…
「気持ちいい」はどこまでも頭での理解でしかない。
体で感じたものは、決して頭では掴めないものなんだ。
感じるということの切なさと同時に、尊さも感じた朝だった。
おいしい、気持ちいい、などの感覚を表す言葉すら今ここじゃない。
頭の声が聞こえなくなっても、声なき思考があるときはやはり思考。
そこでは「楽」だけど幸せ感はまだ感じられなかった。
本当の意味で頭がカラッポな時に初めて、体からフツフツ湧き出す感覚を感じられるのかも。
これが感じられたときに、ようやく「いつでも幸せ」、の幸せ感が感じられるのかも。
今朝、なんとも言えない幸福感を感じた。
頭の声がなくなっても、やっぱりまだ体の感覚を頭で理解しようとしていた。頭で幸せ感を求めてた。
体で感じたら頭はカラッポにしておく。それが肝なんだな。何かを掴もうとしてはいけない。
頭で理解した時点で感じたことはもう過去のもの。
頭をカラッポのままにしておくので、はじめは頭で想像した幸せ感は感じられず物足りなさを感じたが、体が感じたことをダイレクトに感じられたときに幸せ感で満たされた。
まだ、一時的にこの幸せ感を感じただけだけど、たぶんこれに慣れてくるとそこはかとなく幸せな状態が常になるのだろうと思う。